夢みる望遠鏡 [プロローグ] より抜粋


 サチは南国地方の小さな港町に住んでいました。家の外に出ると水平線の見える広大な海があり、その海が主な遊び場だったので、彼女は一年中まっ黒に日焼けしていました。八歳の彼女は、浜辺に近所の友だちを集め、海中に投げたビー玉を潜って探すゲームをしたり、鬼ごっこをしたり、砂で城や動物を作って遊ぶのが大好きでしたが、だれも遊び相手が見つからないときは、スケッチブックとクレパスを浜辺に持っていって、日が沈むまで一人で絵を描いて過ごすこともよくありました。
「絵を描くのはすてきなことよ。神さまのように思ったとおりの世界を作れるんだから」母のこの言葉が、彼女をますます絵の好きな子にしていました。
 ある夏の日の夕方、友だちと別れて海から戻ってきたサチは、シャワーをすませた後、リビングのソファに腰かけ、ぬれた髪をタオルで乾かしながら、愛犬のジョンと遊んでいました。そのとき彼女は、部屋の隅に置いてある額入りの絵に気づき、あれ? と首を傾げました。両親の寝室に飾ってあったはずの「秘密の花園」の絵がどうしてここに? 変だなあと、彼女は思いました。「秘密の花園」の絵とは、色とりどりの花が咲き乱れた庭園を描いた油絵で、彼女の両親がとても大切にしている絵でした。彼女は近くまで行き、絵をよく眺めました。中央に描かれた小道が、渦巻きのような円状になって森の奥へ伸びているその絵は、見ている彼女を絵の向こうにある未知の森に誘いました。絵は言葉にならない言葉で、彼女にいろいろな物語を語りました。
 サチは絵の下に積まれた、革製の大きな二つのトランクも気になりました。どちらとも彼女の曾祖父が生前に愛用していたものですが、押し入れの奥にずっとしまい込んであったので、ここに出してあるのを不思議に思ったのです。トランクの中はどうなっているんだろう? 彼女は確かめたくなりました。

  リビングにいるのはサチとジョンだけでした。父はキッチンでこれから家にやって来る客のために、鼻歌を歌いながら、今朝港に水揚げされたばかりの、活きのいい魚貝類を使って、得意の料理を作っていました。母はその客を迎えに、車で約一時間のところにある空港まで出かけて留守でした。
 サチはトランクの上にあった絵を床に下ろしました。「宝物が隠してあったらいいのにね……」と彼女はそばに来た犬のジョンに話しかけながら、一つめのトランクの留め具をはずしてフタを開けました。中から現れたのは、アルバムや整理しきれず袋にしまわれた写真、それにネガでした。
「なあ~んだ」もっとめずらしいものを期待していたサチはがっかりしました。でも、写真に興味がないわけではありません。彼女はいちばん上にあるアルバムを開けてみました。彼女の両親が船の上で結婚式を挙げたときのものでした。純白のドレスに身を包んだ若い母と、タキシード姿の若い父。よろこびにあふれた二人の笑顔は、彼女の心も幸せにしました。
 それからアルバムを順番に見てゆくと、サチは歩き出す前の自分を撮影した写真の多さに驚きました。本人はまったく覚えていません。笑った顔に泣いた顔、怒った顔、寝ている顔、真剣な顔……こんなにいっぱい撮っちゃって。まめなお父さんらしいけど、と彼女は思いました。
 赤ちゃんのサチはまた、家族や知り合いだけでなく、見覚えのないたくさんの大人たちの腕に、大事そうに抱かれて写っていました。記憶にはないけれど、抱いてくれた人たちの肌のぬくもりが、彼女の身体または心のどこかにうっすらと残っている気がしました。

 サチは今度は下にあるもう一つのトランクを調べました。このトランクにもアルバムが入っていましたが、父と母の昔の写真がほとんどでした。運動会のかけっこで先頭を走る父、満開の桜の木の前で犬とじゃれあう母。小学校時代の両親の写真は彼女にとって新鮮でしたが、妙な感じもしました。なぜなら、それが自分の親ではなく仲のいい友だちで、そのときのことをよく知っていると、彼女には思えたからでした。
 サチがまだ行ったことのない外国の街なみや建物、教会、山、田園風景、カラフルな野菜や果物などが並ぶ市場、青い瞳の子供たち、きらびやかな民族衣装を身につけた人々……彼女の父が独身時代に旅先で撮影した写真も数多く出てきました。それは以前父に見せてもらったことのある写真でした。
 トランクのいちばん底には、長方形の大きくて薄い桐の箱がしまってありました。サチは箱を取り出しフタを開けました。中には紙袋に入った20数枚の水彩画がありました。厚紙に描かれたもので、何度も触ったような跡があり多少色あせていましたが、その中の人物や背景はみなイキイキとしていました。
 サチは全部の絵の裏に文章が書かれているのに気づきました。それは20数枚の絵でひとつの物語を表現した紙芝居でした。袋の中を確かめると、絵がもう一枚残っていました。それが表紙で「ゆめみるぼうえんきょう」と大きく題名が書かれていました。
 その紙芝居をすべて読み終えたとき、サチの目には涙があふれていました。どんどん湧き出てくる泉のように、涙はしばらく止まりませんでした。彼女はどうしてこれだけ涙が出るのか自分でも不思議でした。感動する本や絵本はたくさん読んだけれど、こんなに泣いたことはなかったからです。
 物語の内容は、友だちの命を助けるために四人が冒険の旅に出て、最後はハッピーエンドで終わるものでした。両親が描いたものではないことはサチの勘でわかりました。だれが描いた紙芝居で、どうしてここにあるんだろう……? 彼女は疑問に思いました。でも一つ目の答えはすぐ見つかりました。秘密の花園の絵を描いた人にまちがいない。

 

「サチ、ちょっとお父さんを手伝ってくれないか?」とリクはキッチンから娘のサチに声をかけました。「何かやってるのか?」
 リビングに様子を見に来たリクは、サチがトランクから出したアルバムの山を見てあきれ返りました。「もうすぐお客さんが来るんだから、早くそれを片づけなさい」とリクは彼女に言ってキッチンに戻ろうとしました。
「この紙芝居を描いたの、この絵を描いた人だよね?」とサチは自分の推理を確かめようと父にたずねました。リクは驚いて彼女の方を振り返り、紙芝居が広がっている場所まで近づきました。彼は床にしゃがむと、サチが手に持っている、子供たちが望遠鏡をのぞいている場面の絵を取り上げました。彼女は一瞬しかられるのかなあと思い、ビクッとしましたが、そうではなく父はとてもやさしいまなざしで絵をじっと見つめていました。それから残りの絵を寄こすように彼女に言いました。彼女は父の言葉を待ちました。
「ああ、そうだよ。サチの言ったとおりだ。この紙芝居もその絵も、お父さんとお母さんの友人が描いたものなんだ。その人がこの物語も考えたんだよ。事実をもとにしてね。よくできているだろう?」
「事実……? 事実ってなあに? えっ、まさか! 未来や過去が見える望遠鏡が実際にあったってこと? 主人公の女の子が病気で死にかけていたのに、友だちが見つけてきた薬草のおかげで元気になったってこと?……ねえ、どうなのお父さん! サチは本気で知りたいの! いつものジョークはダメだからね」
 リクはときどき娘に冗談を言ってからかうことがありました。しかし、事実をもとに作られた紙芝居だというのは、本当のことでした。彼自身が物語のモデルの一人で、体験した本人ですから、うそであるはずがありません。
「未来と過去が見える望遠鏡が存在したことも、薬草の話もすべて事実だ。そう言ったら、サチは信じるかい?」とリクは娘に聞いてみました。
 サチは少し考えてから、紙芝居をもう一回見直しました。彼女はこの絵と物語にどうしてこれほど感動するのか、その理由がわかりました。うそが描かれてないからだ、そう思いました。
「信じる!」と彼女は答えました。

 

  

( ☆ 第一章「みんなの夢」へと続く.....

 

 

 

 

 

夢みる望遠鏡

定価1543円(本体1429円+8%税)